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Tuesday, June 30, 2020

教育長の部屋(2020年7月) - city.kunisaki.oita.jp

「食卓の情景」

 池波正太郎と言えば、「鬼平犯科帳」などの時代小説で有名ですが、食べ物に関するエッセイを多数書いています。特に「食卓の情景」という本は、氏がこれまでに食べ歩いた料理や母親の料理について紹介しながら、料理を通して人のつながりや人生観を書いています。氏のエッセイには及ばないが、まずはかつての私の家の「食卓の情景」を書いてみます。

■セリ料理
 田んぼに自生しているセリを野良仕事のついでに採ってきて、それを豆腐といっしょに油いためをした「セリ焼き」、ご飯に炊き込んだ「セリご飯」は子どもながらに季節の味がしておいしかった。私は今でも、春になると田んぼでセリ摘みをする。
■自家製うどん
 昔は家々にうどんを打つ手動の機械があった。そしてそのだし汁はというと、今のようなうどん専用にこしらえた「だし汁」ではなく、朝の残りの「みそ汁」だった。夜遅くまで田畑で働いていた母には、だし汁を作る暇などなく、朝炊いてあったみそ汁をかけるのが当たり前で、私たちにしてもそれが普通だった。したがって私は、全国的にうどんはみそ汁をかけて食べるものと思っていて、その後、食堂で初めてうどん専用の「だし汁」があることを知った。もちろん、きつねうどんや天ぷらうどんというシャレた組み合わせがあることも初めて知った。
■小イワシの塩漬け
 私の家は海に近い。小学校低学年の頃は、漁師が地引き網を引き上げるのを両親が手伝いに行っていた。その駄賃として漁師が捨てる小イワシ(干すとイリコになる)をバケツ一杯もらって帰るのだが、それを塩漬けにしておかずにした。少し苦味の利いた、大人の味がした。これがまた旨かった!
■カレーライス
 子どもに限らず家庭で作るカレーライスは、時代を超えて人気料理である。ただ、私たちの時代はカレーに肉が入るなどということはほとんどなく、ソーセージや天ぷらなどがその代用として入っていた。現代風に言えば「海鮮風味のカレー」ということになるのだろうが・・・。そしてルーにしても、カレー粉を小麦粉と混ぜて入れるものだから、ダマがたくさんできて、何とも粉っぽいカレーだった。ただ、入っている食材やルーはどうでもよくて、とにかくカレー味がすればご馳走だった。
 

 こうして書き並べて現代の食卓と比べてみますと、何ともつつましく、情けなくもなります。
 しかし一方で、現代の「食卓」は確かに豊かな食材と味にあふれているのかもしれませんが、「こしょく」(「孤食」「個食」「固食」「小食」「粉食」など)と称されるように、最近は子どもたちにとっては、ある意味、味気のない「食卓」になっていると言えるのかもしれません。ましてや今回の新型コロナウイルス禍で臨時休校を余儀なくされた子どもたちは、学校給食の機会も奪われました。子どもたちに与えられた昼食が菓子パンや即席ラーメンだけだったという話も聞きました。テレビやゲームで時間を過ごし、食べ物は豊富にあってもお菓子や栄養バランスの取れない食事で過ごした子どもたちは、ちょっとふっくらして学校に戻ってきたということも耳にしました。
 問題は新型コロナウイルス禍の中だけなら仕方がないとして、そうでない時期も、こういった「食卓の情景」が子どもたちの「食卓」だとすると大きな問題だと考えます。贅沢な食卓を望むのではありません。つつましくても、また毎日ではなくても、ひと手間かけた料理こそが、子ど飯盒もたちの体と心を育てるのだと思います。もちろん多くの家庭がそういったご努力をしているということも聞いてはいますが・・・
さて将来、子どもたちはどんな「食卓の情景」を思い出すのでしょうか?

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