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Friday, June 16, 2023

カープ 北別府学さん死去 エースで通算勝NHK 広島のニュース - nhk.or.jp

カープ一筋で19年間プレーし、エースとして球団最多の通算213勝をあげた北別府学さんが、16日、亡くなりました。
65歳でした。
北別府さんは鹿児島県出身。
宮崎県の都城農業から昭和51年にドラフト1位でプロ野球カープに入団しました。
抜群のコントロールから「精密機械」と呼ばれ、3年目から11年連続でふた桁勝利をあげて5回のリーグ優勝に貢献するなど、エースとしてカープの黄金時代を支え、カープ一筋19年で球団最多の通算213勝をあげました。
平成6年に現役を引退したあとはカープの投手コーチや野球解説者を務めていました。
また、平成24年には、野球界の発展に大きな功績を残した人をたたえる野球殿堂入りを果たしました。
令和2年1月に、血液のがんの一種、「成人T細胞白血病」と診断されたことを公表し、治療を続けていました。
病気を公表した際には自身のブログで「解説者として、カープの日本一を見届けるために必ずや復活します」とコメントしていました。
球団関係者によりますと北別府さんは、16日午後、広島市の病院で亡くなりました。
65歳でした。
北別府さんが亡くなったことを受けて球団は、今夜マツダスタジアムで行われる西武戦は半旗を掲げるほか監督、コーチ、選手は喪章をつけてプレーすることにしています。
カープの本拠地・マツダスタジアムで、50代の男性は「僕らの時のスター選手ですから、残念です。球はそんなに速くありませんでしたが、コントロールがよくて変化球の精度が高く、0点に抑えるイメージが強いです」と話していました。
また、40代の女性は「カープのことをとても愛してくれて、解説でもいいコメントをしていたので、選手たちもすごくさみしいのではないかと思います」と話していました。
60代の男性は「本人のブログで体調が悪いと知っていましたが、急な訃報を聞き、残念でショックです。背番号20番を継いだ栗林投手にはきっちり仕事をしてほしい」と話していました。

カープの新井貴浩監督は、「闘病していたとは聞いていましたが、すごく残念です。私も小さいころから北別府さんが投げる姿を見てきましたし、その投げ方のまねをしていました。私が選手の際はコーチをされていて、どんな時でも淡々と、どっしりとしている方でした。私がカープに戻ってきた時にごあいさつした際は、『がんばりんさいよ』と優しく言っていただけたのを覚えています。偉大な先輩を偲びながら、天国で北別府さんが見守ってくれていると思いながら、きょうから選手たちとプレーしていきたいと思います」と話していました。

カープで同じ時期にピッチャーとして活躍し、2歳の年上の大野豊さんは「同じグラウンドで同じユニフォームを着てプレーした仲間が亡くなって言葉に表せないくらいショックだし、ただただ、残念です。北別府さんは投手として足りないところのない選手で、技術面でも、メンタル面でも多くのことを学ばせてもらいました」と話していました。
また、印象に残っている言葉について「北別府さんが通算200勝目をあげた試合で、最後にリリーフし、試合が終わったあとに『ありがとうございます』と言葉をかけられ、心からの感謝の気持ちを感じました」と振り返りました。
その上で「北別府さんは今までに見たことのない、大投手で名投手で、亡くなったあとも元気だったころの姿を決して忘れることはないと思います。長く闘病されていたのでゆっくり休んでほしいと思います。今はただそれしか考えられません」と話していました。

カープの松田元オーナーは「入院していることを聞いて心配していたが、びっくりしている。球団の黄金期をエースとして支えてくれて、エースとしてのプライドが高い選手だった。コントロールと変化球に加えて強い闘争心があったからそれほど速くないボールでも抑えられていた。背番号『20』は球団のエースナンバーで重みがある番号だ。素晴らしいピッチャーだった」と話していました。

カープのOBで北別府さんと11年間共にプレーした小早川毅彦さんは「療養されているということは知っていて、早く回復されることをずっと願っていたので、大変ショックです」と話していました。
そして、共にプレーした時の思い出について、「針の穴を通すようなコントロ−ルでバッターに向かっていくような投球スタイルでした。相手がどんなに強くても逃げることなく向かっていくというカープのスタイルの礎を築かれた方でした。しっかり守って勝つというチームの中心的な存在でした。後ろを守っていても大変心強かったのを覚えています」と振り返りました。
最後に、「OBとしては、いまの現役の選手が北別府さんの意志をしっかりと引き継いで、北別府さんにいい報告をできるようにしてほしいと思います」と話しました。

現役時代にプロ野球・広島で活躍した、オリックスの梵英心内野守備・走塁コーチは「僕が現役の時に解説で球場に来られていたときは、『調子はどうだ』と聞かれて『絶好調です』と返すやりとりがルーティーンだった。優しい中でも、『打てよ』とか、『チームのために頑張れよ』と声をかけられた印象が残っている」と振り返っていました。
そして「優しいお父さんのような人柄で、また元気になってお会いできればと思っていた。まだまだこれからだと思っていたので、残念な気持ちだ」と話していました。

北別府学さんのオフィシャルブログでは妻の広美さんが北別府さんの闘病の様子を更新していました。
この中でことし2月に更新された時には「はっきりと目を開けて普通に会話をしてくれました。口に流し込むという感じですがスープやお粥などを少しだけ食べてくれるまでに」とつづった上で「まだまだ頑張りますのでよろしくお願い致しますと主人が申しております」と書かれ、ベットに横たわる北別府さんと広美さんが2人で写っている写真が載せられています。
亡くなる前、最後にブログが更新されたのは、6月12日で「もうすぐ父の日だよ、がんばれ!!」というタイトルでした。
この中では、北別府さんのために子どもたちが座り心地のいいイスに買い替えた様子が書かれています。
そして、「父親をここに座らせてあげたいという思いの詰まった椅子この椅子に座れなくとももう一度帰宅させてあげたいという思いで毎日、拭いています」と北別府さんの回復を願う家族の優しい思いが買い替えたイスの写真とともに載せられていました。

同じ65歳で、阪神の岡田彰布監督は、16日の試合前に報道陣の取材に応じ「大学を経て自分がプロに入った頃にはもうエース格のピッチャーだった。本当にコースに決めてきて、コントロールのいいピッチャーだった。同学年ということで対戦するときは意識した」と話しました。

岸田総理大臣は、記者団に「心から哀悼の誠を捧げたい。北別府氏はカープ初の200勝投手で、カープが初めて日本一になったときの中心投手だった。私と同じ年の同じ月生まれで、大変思い出深い、身近に感じたスターであり、ヒーローだった。改めて安らかにお眠りくださいと申し上げたい」と述べました。

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