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Friday, August 20, 2021

今までにない徳川吉宗の物語 “家族”を渇望する孤独な将軍を描く - goo.ne.jp

今までにない徳川吉宗の物語 “家族”を渇望する孤独な将軍を描く

※写真はイメージです (GettyImages)

(AERA dot.)

 文芸評論家の細谷正充さんが選んだ「今週の一冊」。今回は『吉宗の星 「小さな幸せが欲しかった将軍』(谷津矢車著、実業之日本社 1870円・税込み)の書評を送る。

*  *  *
 徳川八代将軍吉宗といえば、享保の改革をはじめとする各種政策により、幕府の再建を図った名君として知られている。もともとは紀州藩の部屋住みの三男であり、将軍どころか藩主になることすらあり得なかった。しかし、父と2人の兄が死んだことで、紀州藩主となる。3人の死は吉宗の毒殺という噂もあり、それを採用したフィクションでは、冷酷非情の人として描かれることが多い。本書も、その毒殺説を使用。だが作者が曲者の谷津矢車だ。今までにない徳川吉宗の物語を創り上げているのである。

 徳川新之助(後の吉宗)は、紀州藩主・徳川光貞の三男でありながら、淋しい部屋住みの日々を過ごしていた。母親の紋の身分が低いからだ。味方といえるのは、学問の師の高僧・鉄海と、一緒に育った乳兄弟で唯一の家臣の星野伊織だけだ。五代将軍綱吉から下賜され、三万石の葛野(かずらの)藩主になっても状況は変わらない。ただ願うのは、いつか母と一緒に暮らすことであった。

 そんな新之助のために伊織が暗躍。毒による暗殺により、新之助を紀州藩主の座に押し上げる。それでもまだ、母を世の中のすべてから守るためには力が足りない。名を吉宗とし、さらなる地位を求めて、江戸で権謀術数を繰り広げるのだった。

 その権謀術数に、史実を絡ませているのが、本書の読みどころになっている。一例を挙げよう。将軍の座を狙う吉宗は、大奥に楔を打ち込み、併せて幕閣の権力者の力を削ぐ。

 そのために利用したのが、大奥御年寄の江島一行の門限破りである。普段なら黙認される、ささいな件に火を付け、大問題に発展させたのだ。歴史時代小説でお馴染みの「絵島騒動」を、このような形で表現した、作者の手腕が素晴らしい。物語の後半にも、驚くべき権謀術数があるのだが、それは読んでのお楽しみ。海外の謀略小説に匹敵する魅力が横溢しているのである。

 このような権謀術数の中心にいる吉宗は、悪人といえるかもしれない。だから彼が将軍になる過程を、ピカレスク・ロマンとして楽しむこともできよう。しかし吉宗が真に求めたものは、権力の頂点ではない。母親の紋と、兄とも友とも思う伊織と、暮らすことだった。ただそれだけの、小さな幸せが欲しかったのである。この吉宗の“家族”に対する渇望も、本書の読みどころとなっている。

 だが皮肉にも、吉宗の願いに基づく行動が彼を孤独にする。将軍になった彼がたどり着く、索漠たる心象風景には言葉もない。権力者の孤独も見事に描き出しているのだ。しかしラストで作者は、孤独な吉宗にひとつの慰めを与える。谷津作品の読み味のよさは、人物を厳しく見つめながら、優しさを忘れないところにあるのだろう。

 さらに、脇役の描き方にも注目したい。紀州藩時代の吉宗の後見役で、後に御側御用取次になった小笠原胤次(たねつぐ)や、勝手掛老中の松平乗邑(のりさと)など、作者独自の視点による人間像となっている。その中でも特に感心したのが、尾張藩主の徳川宗春だ。一般に宗春は、さまざまな理由で、吉宗と対立していたといわれている。その彼を、吉宗のよき理解者としたのだ。これには大いに驚いた。

 ところが読んでいるうちに、互いを深く認め合う、ふたりの関係に納得してしまった。宗春が尾張藩で実行した、消費による経済拡張政策は、吉宗の財政緊縮政策と正反対に見える。だが、そうではなかったのだ。ストーリーの中で巧みに構築された、作者の解釈には強い説得力がある。そして、吉宗をはじめとする人物たちは、真実、このような人間ではなかったのかと思えてくるのだ。

※週刊朝日  2021年8月20‐27日号

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