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Sunday, August 21, 2022

今までになかった技術やコンセプトが日本から!! 自動車史に名を残す革新的なクルマたち - 自動車情報誌「ベストカー」 - ベストカーWeb


 自動車業界は、カーボンニュートラル、自動運転や、CASEなど大きな変革の時代を迎えている。フォードT型の大量生産方式から100年以上たった今、内熱機関はもちろんのこと、電気自動車(EV)や燃料電池車(FCV)が誕生した。

 いまもなお、各メーカーがしのぎを削り、新たなクルマ、新技術を開発し続けている。

 そこで本稿では、日本車に絞り、「革命」、「維新」を遂げたクルマやエンジンなどの技術を紹介。どこが偉業だったのか、解説していく。日本から生まれたクルマたちが織り成す歴史の一片をお届け。

文/御堀直嗣、写真/HONDA、TOYOTA、NISSAN、MITSUBISHI、ISUZU、MAZDA

【画像ギャラリー】世界初が多数誕生!! クルマ業界を大きく動かした日本車たちをギャラリーでチェック(7枚)

1970年の排出ガス規制に最初に成果をあげたホンダのCVCC

実現不可能と言われた排ガス規制(マスキー法)を世界で最初にクリアしたシビックCVCC

 革命とか維新とか、その意味は従来に比べ新たになることだが、多少の差がある。革命とは、抜本的に改まることが短期間に行われることだ。維新とは、すべてが新しくなることをいう。

 自動車技術において、革命と維新を明確に意味づけることが難しい場合もある。1886年にガソリンエンジン自動車がカール・ベンツによって発明されて以降、そこから数十年の間に、進化のための発案はさまざまにあったからだ。ただし、それが実用化されたかどうかはまた別である。

 そうしたなかで、日本車における革命や維新といった動きはどうであっただろう。

 日本はもちろん、世界を震撼させたのは、1970年の排出ガス規制だ。これに最初に成果をあげたのが、ホンダのCVCC(複合渦流燃焼調速方式)であり、この技術を採用したガソリンエンジンを搭載したシビックは、自動車史に名を残す一台だろう。

 CVCCの原理は、かつてのディーゼルエンジンで使われた副燃焼室のガソリンエンジンへの応用であり、通常の燃焼室と別に小さな副燃焼室をシリンダーヘッドに設け、そこでガソリンの濃い混合気に点火プラグで着火し、その火炎伝播を利用して主燃焼室の薄い混合気を燃やす考えである。

 これによって、全体的には少ないガソリン使用量でクルマを走らせることになり、排出ガスの量を根本から減らし、排出される有害物質を少なくする。とはいえ、少ないガソリンで走らせるので、動力性能はある程度落ちざるをえない。CVCCを採用したシビックにはじめて乗ったとき、加速の物足りなさに愕然としたものだ。

 のちに、排出ガスを後処理する考えで、三元触媒が発明・実用化されたことで、今日に続く排出ガス浄化が進む。だが、CVCCの考えは、希薄燃焼の実現という観点で、現代の燃費向上につながっている。後処理はいまなお不可欠だが、そもそもエンジンでガソリンを燃やす原点から解決策を見出さなければならないとしたのが本田宗一郎の考えであり、それがいまにつながっている。

トヨタはハイブリッド車、日産・三菱は電気自動車を世界に先駆け実用化!!

 環境性能のなかでも燃費に的を絞り、大きく躍進させたのが、ハイブリッド車(HV)の誕生だ。1997年の初代プリウスがこれを実現した。開発目標は、ガソリンエンジン車の半分のガソリンで走る、つまり燃費性能を2倍にすることだった。

 ガソリンエンジンと電気モーターを併用することで、エンジンが燃費を悪化させる発進と、加速で、モーターが駆動力を補助する機構である。逆に、エンジンの燃費がよい一定速度での走りでは、バッテリーに充電する。減速でも、充電を行い、次のモーター駆動に備えて電力をバッテリーに蓄える。これは、モーターと発電機が同じ機構であることで可能になる。

 エンジンとモーターの得意な面を有効活用したのがトヨタのハイブリッド方式であり、それには動力分割機構と緻密な電子制御が不可欠だった。いっぽうで、エンジンのほかに、モーターやバッテリーなど追加部品があるため、原価が高くつく難点があった。

 そこで、主に欧州の自動車メーカーは、HVに疑念を示した。そしてディーゼルターボエンジンで燃費向上に臨んだが、結局、ディーゼル排出ガス偽装問題を起こし、ハイブリッド化、電気自動車(EV)化へ大きく転換することになった。

 日産は、HVとは別に電気自動車(EV)の実用化へ動いた。それが2010年の初代リーフ誕生につながる。

 1990年代、トヨタはHVの早期の実用化を視野に、ニッケル水素バッテリーの実用化を優先した。いっぽうの日産は、EVを視野にリチウムイオンバッテリーに集中し、当初はソニーと、次にNECと共同開発することで、自社での生産に漕ぎつけた。世界的にもまれなラミネート型リチウムイオンバッテリーを量産し、リーフの市販へつなげたのである。

 リーフの1年前に、三菱自動車工業はi-MiEVを発売した。日産と同様に、リチウムイオンバッテリーの可能性を追求し続け、世界初となるEVの市販が成ったのである。しかし、リチウムイオンバッテリーの生産はGSユアサに依存する体制であった。軽自動車で450万円相当という車両価格により、販売で苦戦した。それでもi-MiEVの価値は欧州でも認められ、プジョーやシトロエンがOEM導入した。

 日産も三菱自も、EV販売は当初の想定を果たせずにいたが、それでも日産はリーフで世界累計60万台を販売した。その知見が、のちのEVやHVのe-Powerに活かされている。また、日産と三菱自の10年を超えるEV販売が、最新のサクラやeKクロスEVの、こなれた価格での販売に結び付いた。

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