「おまえはアルカイダのメンバーだろう。早く認めろ」
「ぬれぎぬだ」
悪夢のようなやり取りだった。中国新疆ウイグル自治区出身の51歳のアデル・ノーリーは、米中央情報局(CIA)や米軍の尋問官に執ように迫られた日々を忘れない。イスラム教徒で、国際テロ組織アルカイダの構成員と疑われ、「出口」の見えない拘束生活を7年半余り強いられた。場所は、カリブ海に臨むキューバ東部のグアンタナモ米海軍基地にある秘密の収容施設だった。
イスラム主義組織タリバンを政権の座から引きずり下ろす
2001年9月11日の米中枢同時テロを契機に、米ブッシュ政権は「正義の鉄つい」を加えるとして「対テロ戦争」を主導した。米軍は01年10月、アフガニスタンに攻め入り、イスラム原理主義組織タリバンを政権の座から引きずり下ろした。同時テロの首謀者でアルカイダの指導者ウサマ・ビン・ラディン容疑者をかくまい、引き渡しを拒んだためだ。
中国当局から「ウイグル独立を図る『危険分子』として追われる身」だったノーリーは当時、同胞と共に暮らしていたアフガンの首都カブールから脱出。隣国パキスタンで治安当局に不審者として捕まり、米軍に引き渡された。カブールでテロ訓練に参加していた疑いを持たれた。ノーリーは、世界各地で拘束された「テロ」容疑者の1人として密かにグアンタナモに運ばれた。
「584」。グアンタナモでのノーリーの「名前」は、収容者一人一人に付けられたコード番号だった。本名を呼ばれることはなかった。オレンジ色の囚人服を着せられ、手錠だけでなく、足かせもされて独房に入れられた。当初、放り込まれた独房は、奥行き2.5メートル、幅2メートルで窓がなかった。
関係を否定すればするほど取り調べは厳しくなり…
「真っ暗な部屋に移され、急激に冷やされたり、逆に異常に暑かったりする仕打ちを受けた」
大音響のパンクロック音楽を何時間も聞かされた時もあったが、手錠をされているので耳をふさぐこともできなかった。心身共にふらふらになり、尋問席に押さえつけられた。
そもそも米国を狙ったり、米国人を襲ったりするつもりは頭に浮かんだことさえなかった。それでも身に覚えのないアルカイダとのつながりを何度も詰問された。関係を否定すればするほど取り調べは厳しくなり、殴られたり、水を浴びせられたりもした。
からの記事と詳細 ( 真っ暗な部屋で手錠をされ…ウイグル族男性がグアンタナモ収容所で受けた“あまりに理不尽な拷問” - 文春オンライン )
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