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Monday, December 12, 2022

千賀滉大投手 プロ野球育成選手出身では初の大リーグ移籍|NHK 福岡のニュース - nhk.or.jp

ソフトバンクで7年連続、ふた桁勝利をマークしたエースの千賀滉大投手はプロ野球の育成選手出身では初の大リーグ移籍を成し遂げた。
高校時代、ほぼ無名だったという千賀投手が、どのようにしてアメリカンドリームをつかんだのか。
実に運命的なストーリーを取材した。

【公立校で投手に転向】
2008年、公立校で甲子園出場の経験がない愛知県立蒲郡高校野球部の監督だった金子博志さんは部員を勧誘する活動の時期を迎えていた。
仮入部の生徒が目にとまった。
金子博志教諭「ボールの回転数がとにかく多くて、ボールが垂れない。伸びがあり、今までに見たことがないような球筋だった。この子はピッチャーだとその時、思った。うちの高校に入ってくる野球経験者のリストがあったが、そのリストには名前がなかった。だからなおさら驚いた」その生徒こそ、15歳の千賀滉大投手。
当時はピッチャーになることはおろか、野球部に入ることすら迷っていたという。
金子博志教諭「他の部も考えていたというのは聞いた。中学校では三塁手で、そのまま高校でも三塁手、内野手をやりたいということだった。少し内野手をやっていたが、キャッチボールを見て、他のスタッフと話をして、この子はピッチャーで行こうと決めた」入部してからおよそ1か月で本人と相談し、ピッチャーに転向させた。
千賀投手のピッチャーとしてのキャリアが始まった。

【対戦して驚いた監督が・・・】
2010年夏、森淳二さんが監督を務める愛知商業高校は、大会の2回戦で蒲郡高校と対戦した。
相手の先発、千賀投手に驚いたという。
森淳二さん「失礼な言い方だが、蒲郡高校は普通の公立高校。勝てると踏んで準備をしていた。ところが、完膚なきまでにやられた。当時、スピードは130キロくらい出ていたと思うが、それほどあったわけではない。とにかくスライダーのキレが良かった」想定外の敗戦のあと、森さんは千賀投手の運命を変える、ある人に声をかけた。
「ニシさん、蒲郡高校の千賀を知っていますか?」

【運命変えたニシさん】
この「ニシさん」は西川正二さん。
名古屋市のスポーツ用品店の店主だった。
西川さんは、学生時代にはピッチャーを務め、店を開いてからも子どもたちに野球を指導し、高校野球も熱心に観戦していた。
選手の才能を見抜く力はプロ野球のスカウトからも頼りにされるほどだった。
西川さんは蒲郡高校に出向いて千賀投手を直接見に行った。
息子の史時さんに当時を思い出してもらった。
西川史時さん「相手が誰かはわからないが店の中で、『億を稼げるピッチャーを見つけてきた!これはちょっとおもしろいぞ』と電話していたのを聞いた。色んな球団の方に千賀くんのことを推していたと思う。ソフトバンクさんは3軍制を持つことになっていて、たまたまタイミングが合ってドラフトで指名されることになったのではないか」

【スカウト部長の決断】
ソフトバンクの当時のスカウト部長、小川一夫さんは、来シーズンから発足する3軍制の導入に備え、ドラフト会議で指名する選手を検討していた。
小川さんに1本の電話が入った。
小川一夫GM補佐「ドラフト直前の1か月前くらいだったと思う。西川さんから『蒲郡高校にこんなピッチャーがいる。僕はいいと思うけど』という電話が、最初のきっかけだった。3名のスカウトを蒲郡高校に派遣して、ビデオの撮影と球のスピードを測ってくれと頼んだ」映像を見て、小川さんは瞬時にその秘めた可能性を感じ取った。
小川一夫GM補佐「フォームが非常にしなやかで、身長が当時、1メートル83センチ。関節が柔らかく、肩の可動域が広い投げ方をしていた。スピードも143キロ出ていた。私がそこから愛知に出向くと、ホークスの小川が入ってきた、どこに行くんだと他の球団に詮索されるリスクの方が高かった。私は実際の投球を生で見ていない。映像を見ただけで指名を決めた選手は千賀投手が初めてだった」プロ2年目に支配下契約を結んで初登板し、3年目にプロ初勝利をあげた。
最速160キロを超える威力十分のストレートと、「お化け」とも評される落差の大きいフォークボールが持ち味で、6年目に12勝をあげたあと、今シーズンまで7年連続でふた桁勝利をマークしている。

【大リーグへの挑戦】
千賀投手は2017年のWBC=ワールド・ベースボール・クラシックで、日本代表から唯一大会のベストナインに選出された。
この大会が千賀投手に大リーグ挑戦への強い思いを抱かせることになった。
千賀滉大投手(11月10日球団を通じて)「WBCでのマウンドが心に響いて以来、ずっと大リーグでプレーすることへの思いを持ち、それを叶えるための行動をしてきた。その結果、憧れてきた舞台が目の前までは来ているのかなと感じている。今後どうなるのか全くわからないが、これまで同様、自分を高めるための努力を怠らずに日々過ごしたい」千賀投手についてアメリカの複数のメディアは日本時間の11日、メッツと5年契約を結ぶことで合意したと伝えた。
金額は5年総額で7500万ドル、日本円でおよそ102億円の契約になるという。
小川一夫GM補佐「野茂英雄さんが海をわたって、ストレートの強さとフォークボールで2回、ノーヒットノーランを達成し、大活躍した。大リーグで千賀投手のように大きな落差のフォークボールを投げるピッチャーがあまりいないことを考えると非常に有効な球になると思う。悔いのないように全部を出し切って、アメリカで活躍する姿を見たい」千賀投手をソフトバンクへ売り込んだ西川さんは2011年に亡くなった。
大リーグはおろか、ソフトバンクでの活躍すら目にしないまま、旅立った。
ニシさんが今の千賀投手を見ることができていたら・・・。
小川一夫GM補佐「もう本当に自慢げに喜ぶでしょうね。彼がホークスに入って活躍する姿を本当に見せてあげたかった。彼が大リーグで活躍するとなったら、アメリカに渡って、応援すると思う」。
億にとどまらず、5年総額100億を稼ぐ投手になった千賀投手。
千賀投手の持つポテンシャルの高さや、続けてきた努力が、大きな夢をかなえることにつながった。
それでも投手に転向させた金子教諭。
対戦後、ニシさんに声をかけた森さん。
ニシさんからの連絡を受けて映像を見ただけで育成ドラフトでの指名を決めた小川さん。
誰1人を欠いても、アメリカンドリームの成就はならなかった。
千賀投手は、大リーグでも新たな縁を生かして活躍をしてくれるに違いない。

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